3時半になったら車を出ようとじっと時計とにらっめこしていた。
というよりは、街灯も何もない波が洗う音だけ聞こえる漆黒の海岸に一人で降り立つには少し勇気が足りなかったというのが正直なところだった。
外気はどんな感じかウインドーを半分開けるや、生温かい潮の香りとともに、真っ暗な中空から親指の先程の蛾がルームライト目掛け飛び込んで来た。
蝶は大丈夫であるが、蛾が苦手な私は、パタパタ騒ぐ蛾から逃れるように思い切ってドアを空け、そそくさと釣りの準備を始めた。
10メートルくらいの幅で国道脇に生い茂るイタドリの、釣り人が作ったであろうトンネルをキャップライトを頼りに抜ける途中、蜘蛛の巣が顔にまとわり付き「ウァーッ」と低く呟きながら、やっとこさ小さな川の河口に立った。
白夜と言われるその空が僅かではあるが雲と水平線の光と影を演出し始めた。
車を停めている場所をふと振り返り、見上げると、スーッと白い軽乗用車が止まった。
釣り人が来た。
振出しのルアー・ロッドを伸ばし、左ポケットのプラスティックケースから蛍光オレンジに黒のドットの入ったカラフトマス用のルアーを摘まみ出しラインに結んだ。
準備OK。
作業服に胴長を履いただけの至って軽装の50歳くらいの小父さんが「お早うございます」とだけ言って小さな川を挟んで7~8メートルくらいのところにある一抱えくらいの大きさのゴロタの岩にドサっと腰掛けた。
隣を意識するでもなく、ただ波の音を聞きながら明るくなるのを待っていた。
隣の小父さんが黒縁メガネをかけていることが分かった頃、ルアーをキャストし始めた。
河口を跨ぐように7~80メートル、キャストしては、ロッド・ティップを煽ってアクションを付けリーリングを繰り返した。
すっかり日が昇り、セミがジィージィー鳴き始めた。
小父さんは時々エサは替えるものの、じっと波間に揺らめく何時沈むとも知れないオレンジの立ちウキを見つめていた。
ほとんど寝ずに車を運転してきた私は、気温の上昇とともにTシャツがぐっしょり濡れる程汗をかいているのを気にも留めず、ただ、ただ、ただ、無心にキャストを繰り返していた。
釣り始めて3時間くらい経った頃、小父さんは銀紙に包んであるオニギリを頬張り始めた。
お腹が空いた。
ちょうどその時、一際大きな岩に立ってキャストしていた私の偏光グラス越しに、ルアーを追いかける2尾の鱒の姿がハッキリ見えた。
残念ながら彼らは、私のルアーを咥える事無く、波打ち際2~3メートルでゆらゆらと引き返して行った。
鱒がいる事を確認した私は一層気合いを入れ遠投を繰り返した。
それから更に2時間。
ジリジリ照り付ける太陽がやや真上に来た頃、「やっぱり駄目かぁ」とふーぅうと大きな溜息を付いて振り返った。
どっしりと岩に腰掛けたままの小父さんが「どうだい、もう満足したかい?」と5~6時間も一心不乱に竿を振っていた私に話しかけてきた。
私は、全てを見透かされたような、何かとっても恥ずかしい気持ちになった事を今でもはっきり覚えている。
それから小父さんと、鱒がいつもどちらから回遊してくるかとか、数年前に1時間に20尾を釣り上げた話しや、斜里の坂本ホーマーの釣道具屋の話しとか、小1時間話し込んだのだった。
結局二人とも何も釣れなかった。
あれから16年が経ち、カラフトマス釣りは知床の夏の風物詩としてすっかり定着し、当時小父さんと私と二人っきりだった河口は、お祭り騒ぎの様相である。
でも小父さんは、また今年も同じ岩に腰掛けてオホーツク海を眺めていることであろう。
あの暑い夏の日を、引き返して行った鱒を忘れない。
1991年8月10日。